
いじめは本能なので、なくならない。
いじめを通じて、群れの結束と方向性を強固にしていく。
いじめを通じた帰属意識の確認、いじめとは自分が優位であることを確認できるイベント。
いじめとは本能であり、必然的に起こるシステムでもある。
つまり、いじめは必ず起こる。
もうそういうシステムだと、理解する必要がある。
いじめは起こるもの、
だからこそ「いじめが起こらないようにするには」だけでなく、
「いじめが起こった時にどう解決するか」をきっちりマニュアル化する必要がある。
確かに、いじめの予防は大事である。
いじめは起こらない方がいい。
だが、こんな事を考えていないだろうか。
教師が目を光らせていれば、
生徒が心を入れ替えれば、
いじめは起こらない。
そんな事はない。
いじめは起こる。
どんなに注意していても。
たまたま対策が功を奏して、全員が仲良くなって、卒業するケースもあるかも知れないが、それはかなり珍しいケースだと思う。
そして、「対策を徹底すれば、いじめは予防できる」と信じ過ぎていると、以下のようなテンプレの流れになる事は目に見えている。
①「いじめがある。ということは、この学校はダメだ」
②「そう思われるから、学校側もいじめの存在を認めたがらない」
③「いじめの存在を認めないから、いじめへの具体的な対応が取れない」
こうなると泥沼。被害者児童が磨耗していく一方。
そうではない。
いじめはどんな環境でも起こり得るもの。
だからこそ、「いじめが起きた時の対処」をきっちりマニュアル化する必要があるのだ。
そして、それは責任の所在をなすりつけあったり、時間経過で問題をうやむやにする事ではない。
「加害者の隔離」、これである。
いじめの被害者を救い、
いじめの加害者にこれ以上罪を重ねさせない方法。
物理的な隔離をもってすれば、報復などの機会も減少する。
「いじめ」は起こるが、すぐに無くす。
これを繰り返す事で、物理的にいじめを無くすことは現実的に可能だ。
そしてこれを、学校一単位ではなく、国や自治体などの単位で積極的に勧めていくべきだと私は思う。

私は学校側にも同情する。
いじめ問題なんてどう対処すればいいのか。
個人の裁量でどうこうできる範疇ではない。
現場の先生達にのしかかる責任とストレスたるや。
だからこそ、「いじめが起こると法的に加害者児童は隔離されます」という仕組みを作る必要がある。
そうすれば、機械的な対応が可能になり、教師側の負担も相当軽減される筈である。
教師の代わりに法に対処してもらうようにするのである。
もちろん、「加害者の隔離」案が100点満点の案かはわからない。
この案ならではの問題や、このルールを導入するための時間やコストもかかるだろう。
とはいえ、現状は被害者が自らを隔離する選択を取るケースが多い。
「被害者隔離案」が自然発生的に起こっている状況なのだ。
それならば「加害者隔離案」の方が、理屈的にも感情的にも、納得性の高い案だと私は思う。
だから、この案はベストとは言えなくても、ベターな案だと私は思う。

要するに、
①いじめは起こるもの!
②その事を全員が理解した上で、
「いじめが起きた時の対処」を法で整備する!
これが大事という事だね

その通り!
いじめは被害者児童はもちろん、その家族や先生といった、
周囲の人間全員のメンタルをすり減らす出来事だ
だからこそ、皆が後ろ向きになり、いじめへの対処が後手後手に回る

「人」で対応しようとするから、責任と負担で溢れかえる事になる
ならば、「人」の代わりに「法」で対応できるようにすればいい

とまあ、センシティブな話題故に色々と書き方を迷ったが、私の考えはこんな感じだ

と、そんなわけでこの記事は以上だ。また会おう
コメント