【#鬼滅の刃/桃先輩】クズ?善逸の兄弟子・獪岳について【岩柱・悲鳴嶼との関わり】

漫画

みなさんこんにちはこんばんは。
今回は獪岳について。

桃先輩

作品では比較的初期から髪型をはじめとした輪郭のみが登場していた獪岳。
回想では善逸への辛辣な物言いと、無情に桃を投げつける姿から、名前が判明するまでは「桃先輩」と呼ばれていました。
サイコロステーキ先輩といい桃先輩といい、先輩キャラに食べ物の名前を付けられるのが鬼滅の刃のサブキャラの宿命なのでしょうか。

雷の呼吸を体得すべく熱心に修行に打ち込む一方で、
世話になっていた寺で盗みを働いたり、鬼に子供達を売ったり、善逸へのコンプレックスや黒死牟への恐怖から鬼になるなど、
過酷な境遇からか精神性はかなり歪。

彼を形成する大きなテーマは二つ、「とにかく生きること」「承認欲求の充足」。
生きるためには子供たちを売ることや鬼に魂を売ることも厭いません。
「ここで命を落とすか、他人の命を差し出すか」の二択を強いられてしまう以上、彼の選択自体は責められないところもある、とする声もありますが、
鬼殺隊に入る以上は鬼と戦うことは大前提で自分がその鬼になることは敵を駆逐するどころか敵の戦力を増やす結果になるため、やはり選択としては誤りである、との声もあがっています。

そして承認欲求の肥大化。
獪岳と違い真面目ではない善逸が獪岳の使えない型を体得していること、そして師である元「柱」が善逸と自分を同等に見ていること、
真面目に力を研鑽してきたことが驕りとなり、また真面目にやってきたのに思うように結果が出ないフラストレーションになるなど、
さまざまな感情が重なった結果、桃先輩は鬼先輩となりました。

「クズ」扱いされることの多い獪岳ですが、鬼滅の刃においてある意味最も一般人に近い感性の持ち主なのかな、という見方もできます。
自分が命を落とすか、他を犠牲に生きながらえるかという選択肢を無理矢理強いられた際に後者を選ぶ人間はそう少なくはないでしょうし、
肥大化した承認欲求に関しても同じ課題を抱えている人間は特に現代に多いように感じられます。
「自分は真面目にやってるのに認めてもらえないのは周りが悪い」と自分以外のせいにしてしまう、という経験は多くの人が一度は通った道ではないでしょうか。

獪岳の場合は負の側面が重点的に描写されたためマイナスな感情を抱きがちですが、
寺での屈託のない笑顔や修行時の真面目な行動などを見ると、
善逸以外の人間からすれば獪岳は、普段はプライドが高いだけの比較的普通の人に見えていたかもしれません。
鬼滅の刃に登場する鬼狩りは「できた人間」または「ぶっとんだ人間」が多く、現代社会の大半を占める一般人の感性を持つ人間が少ないが故に、
獪岳の狡猾な面がより印象的になった部分は否めないと思います。

ただ環境ばかりが悪いのか、というわけではなく、やはり獪岳自身の問題点は看過出来ません。
特に自分を鑑みるばかりで周囲を見る、慮ることを、少なくとも描写上は全くしていなかったのは愈史郎にも指摘された通り。
「自分を認めてもらいたいならまずは他人を認めるところから」という根本の部分が歪であり続けたがために、
最後は全然自分と関わりのない愈史郎にディスられながら鬼としての命も落とすこととなりました。
読んでいた当初は「獪岳と関係のない人間(愈史郎)がディスって獪岳のターンは終わりなのか」という想いもありましたが、
少し時間をおいて見ると、まあこれも獪岳のやってきたことや獪岳という人間性を表す幕引きだったかもしれません。

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