みなさんこんにちはこんばんは。
今回は「差別」について。
昨今では人種差別や性差別について取り上げられる機会も増えており、
そのこと自体は差別により生じていた理不尽が是正されていくことに繋がるため良いことではないかと思います。
さて今回は、
「差別解消における、結果平等と機会均等」について、ここで述べていきます。
結果平等と機会均等
「とある組織は男女比が男性側に偏っている。女性は全体の2割を超える程度」という内容のニュースのものを見ました。
男女比が8:2、これは果たして性差別の結果でしょうか。
なお、わからないという方のために、結果平等と機会均等の違いについて、簡単に説明します。
「機会均等」とは、
チャンスは均等にした状態で、そこからは実力で勝負を決めるね、
というもの。
一方「結果平等」の場合、
機会が平等にあったかどうかはともかく、結果は平等にするため調整するよ、というもの。
機会均等と結果平等をもとに考える
「結果は男女比偏るかもだけど、チャンスは公平にしよう」の機会均等と
「チャンスに関してはともかく、最終的な男女比は5対5にするよ」の結果平等。
今回は機会均等と結果平等、それぞれの考え方とリスクを記していきます。
男女比の格差解消のためによく声を挙げられるのは、
上述した通り男女比を5:5に近づけようというもの。つまり結果平等に則ったやり方ですね。
「性別」が「能力」や「適性」と同じ、もしくはそれ以上に優先すべき要素になってきます。
例えば性別を理由に女性で採用枠を埋める場合、
本来能力や適性順であれば採用されていたはずの男性は落ちてしまっており、
本来落ちていた女性が採用されているわけです。
これは「男性だから採用できない」という男性差別、
ひいては「女性だから下駄を履かせて採用しよう」という女性差別に繋がる可能性もある、というのが、
結果平等におけるリスクです。
機会均等
男女には生物上の差異や、社会的に考慮しなければならない要素があります。
例えば「男性の方が筋肉量が多くなりやすいため、力仕事では男性の方が多くなりやすい」という傾向ですね。
それらの要素を勘案し、結果的に特定の性別に偏ることもあるでしょう。
これらは差別ではなく区別だと思いますし、そのことは多くの方が理解していることだとも思います。
力仕事で男女比を5対5にしよう、という声はまずあがりませんよね。
「チャンスが均等に存在する上で、しかし結果的に男女比が偏るのをわざわざ調整してしまうのか?」
「能力や適性により決定した結果こそ、見せかけではない真の平等ではないか?」というのが、
機会均等を重んじる考え方だと思います。
また、「性差による差別解消を気にするのであれば、年齢の偏りは?」という声もあがります。
つまり真の結果平等を目指すのであれば、性別だけを5対5にするのではなく、
10代は2人、20代は2人…50代は2人、60代は2人、というように年齢もバランスよく取るのが筋でしょう、という考え方ですね。
性別や年齢を調整するのであれば今度は学歴、学歴の次は地域…
「結果平等を求め出すとキリがない」「配慮は必要だけど、どこかで線を引かないと」という結果平等に対する目線も、
機会均等の一部にはあると思います。
結果平等
さて一方で現実問題、
性別が少なすぎるともう一方の性別が場の中心になりやすいことは確かであり、
バランスを取った方が良いケースはあります。
私は看護師を勤めていますが、「男性なのに看護師」と言われることもしばしばありました。
女性社会故に、男性だからこその息苦しさを感じることもありました。
そもそも「看護婦」という呼称が根付いていたこともありますね。
こうした環境や社会におけるイメージが当たり前に存在することで、性差が原因となり活躍ができない、というのは間違いなく存在すると思います。
もしも看護師という職業そのものが男女5対5の採用比率であったなら、
「男性だから」という声は今よりも少なかったことでしょうし、
看護師を将来の選択肢に入れる男性が今より多くなっていた可能性もあります。
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