アバター:2作品の感想
この記事を書く2日前、つまり一昨日「アバター」の一作目を初めて鑑賞し、
そしてその翌日、「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」を映画館にて鑑賞した。
そういうわけで、「アバター」初見のインパクト・鮮度を保ったまま、2作目を視聴することができた。
せっかくなので一作目と二作目の感想をそれぞれ述べようと思う。
「アバター」感想
まず一作目の“アバター”について。
公開当時、なにかと話題になっていたことは記憶している。
特に“3D”と“映像美”という2点が騒がれていたことを覚えているが、
ストーリーについては特に話を聞くことがなかった。
なので“映像は良い作品”という印象のまま視聴したのだが…
今回鑑賞した感想は、とても楽しむことができた。
昨今の映画にありがちなまどろっこしい政治パートなどを省き、やりたい要素を魅せていった“シンプルイズベスト”な作品だと思う。
作品自体の長い尺を退屈だと感じさせない、趣向を凝らした出来だとは思う。
作品を通じて行われるのはいわば“自然讃歌”。
人間と自然、というテーマ自体はよく見られるもので、これに対して鑑賞した人はそれぞれ思うことはあるだろうが、そういう思想的な信念の話は抜きにして、
単純に“こういう生活してみたいなぁ”と思わせるだけの映画的な説得力はあったと思う。
田舎を舞台にした映画やドラマなどを見た際に、“こういう海が綺麗なところで暮らしてみたいなぁ”と感じたことがある人もいると思うが、まさしくそれに近い。
この手の作品で、“その世界ならではの文化”をじっくり見せてくれるとそれだけで一定の満足感があるし、
登場キャラにも寄り添おうという気持ちになってくる。
アバター:ウェイ・オブ・ウォーター
そして続編の「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」。
舞台は森から海へと移ったが、今後もこの調子で空やら地底やら宇宙やらに移っていくのかな、とか思ったりした。で、最後の作品で森に帰ってくる、みたいな。
“森と海、どっちに住みたい?”といった話題を広げたくなるのもアバター特有。ちなみに私は森である。海は呼吸が煩わしそう。
前作同様、“その土地ならではの文化”を見せてくれて楽しむことが出来た。
大佐との戦いを一区切りするところまで描いてくれたのも好印象。あの場面でなあなあで終わらせず、きっちり決着がつくところまでいってくれたのは気持ちよかった。
そして味方でありながら、大佐関連であるというあの人物。
スターウォーズで言うところのカイロレン的ポジションになる…というわけでは恐らくないが、
今後大佐と何かしらあるのは間違いない。
ただ大佐がもたらしてきた諸々の被害を考えると、“大佐も含めてみんなで仲良くエンド”は出来ないだろう。
ちなみに今回最も気になったのは、“人類、事実上の不老不死に成功していないか”疑惑。
今回大佐達は、事前に採取しておいた記憶?細胞?をもとにアバター体に定着してみせた。
これが可能なら、採取した細胞を大量のアバター体に定着させることで、大量の大佐を生み出すことが出来そうである。
人類側がそれをしないのは、秩序の崩壊を懸念しているのかもしれない。
“オリジナルの人間が絶命したときに限り、一体のみアバター体として復活できる”といった法律でも制定しているのだろう。
ただ、やろうと思えば10人の大佐でも100人の大佐でも生み出すことができるはずだ。
なにせ大佐以外の人間もコピーできていたため、ある程度汎用化された技術である可能性さえある。
今作で、人類側は色々なものを超越してみせた。
オリジナルの人間の細胞と、アバター用となる身体の材料さえ揃えば、
いくらでも増殖させることができる。しかも人格や記憶を引き継いだ形で。
次作以降、この点が注目されて更なる事態の引き金になるのか、
あるいは「そんなに都合よくコピーはできない」的な注釈が入るのかはわからない。
(私が見逃しているだけで、既にそういう注釈は入っていたのかもしれないが)
大量の大佐を起動して、大佐だけで構成された一大“大佐組織”を作り出すことすらできる。
ともかく、今作は色々と語り甲斐のある作品に仕上がっている。
ぜひ劇場で見てほしい。
私は一作目も二作目も楽しんだ。
三作目にも大きく期待をする。
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