「完全試合ペースの途中で継投に入る」というたびたびある出来事
その選手が打たれるまで行って欲しいし、それなら納得がいく。
“完全試合”はあまりに価値が大きすぎるし、実力ある選手であっても狙って獲れるものではない。運や巡り合わせが絡み合って、初めてパーフェクトのチャンスが訪れる。
なのでそのチャンスがある限りは、投げ続けて欲しいと思う。
体力が保たなかったり、怪我の訴えによって「もう投げれない」と投手本人が言うのならもちろん話は別だ。
そうでないなら完全試合は積極的に狙っていって欲しいと感じる。
試合終盤になり、球を見られ、体力は消耗し、逆転のきっかけになる一打を放たれ、嫌な形でパーフェクトを崩されるかもしれない。
ただ、それでもお釣りが来るくらいのパフォーマンスを7〜8回までしているわけである。
パーフェクト状態で仮に打たれたとしても、最大で一失点。
その一失点が致命傷になるような試合展開なのであれば、
それはそもそも打者陣がもっと点を取っておくべきという話である。
ノーノーや完全試合がかかっている状況では、継投は“次善の策”として考えて欲しい…というのが私の個人的な考えだ。
「打たれてから代える」を希望したい。
理想としては、打たれる前に代えて反撃の芽を残さないことなのかもしれない。
…が、ノーノーや完全試合というのはそう頻繁に訪れるチャンスでは無いし、
何よりノーノーや完全試合を継続することがチームの勝利にも最も近づくのだから、
「打たれるまでパーフェクトを狙ってもらう」のが妥当に思える。
パーフェクトができるほどの選手が一打を浴びるのであれば納得がいく。
…なお、これらは完全試合やノーノーに特別な価値を感じている人間による意見である。
「完全試合?すごいけど個人的にはそこまで…」という価値観の方もいるかもしれないし、
その場合はいつも通りの継投が妥当、という結論に落ち着くのかもしれない。
「個人記録よりもチームの勝利の方が大事」という声もわかる。
ただ、やはり完全試合の継続が勝ちに最も近づくのであり、
勝ちに徹するのであればなおさら完全試合という状態を継続すべきなのでは、というのが考えである。
「その日一度も出塁させていない選手」というのはそれくらいの価値がある。
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