大相撲における「変化」とは
みなさんこんにちはこんばんはゆきるりです。
今回は相撲の戦法「変化」について、私見も含めて見ていきましょう。
変化とは
さてそもそも「変化」とは、
立ち合いの瞬間に身体を左右方向へと移動させ、突っ込んでくる相手の体勢を崩すという戦法のことです。
向かってくる相手力士をひらりとかわしてあっさり勝利、という様子に
相撲ファン以外の方でも見覚えのある方もおられるのでは。
勢いよく組み合おうとする相手の動きを真っ向から受け止めずにいなすため、フィジカル面で劣る力士でも勝ちの目を見出すことができる一方で、
後述の理由からしばしば批判の的となる戦法でもあります。
さて、続いてはこの「変化」の戦術としての有効性を考えていきましょう。
立ち合いの変化はご法度
まず「変化」の現状について把握するところから。
現状、変化の成功率は決して低くは無いと思います。
実際相手があまりにもあっさりと引っかかってしまうシーンをよく見ますね。
となると変化をする力士が増えることになりますが、
現状は変化の有効性の高さに対し、その使用率は決して高くなく、対策も十分に行われていないように感じます。
これに関しては色々な理由が考えられますが、
その中のひとつ大きな要因としては「立ち合い時に変化を行うことへの捉え方」でしょう。
「変化を行うことは大相撲の醍醐味を損なう行為だ」
「もし自分が変化をしてしまうと他の力士や観客からの非難は避けられない」
そういった意識が根底にあるが故に、然るべき瞬間でも変化が行われず、使用率の低下に繋がっていると考えられます。
相撲ファンの中にも「変化は品位を損なう行為だ」「力のぶつかり合いを望む相手と客に対する裏切りである」という意見を持たれる方も多くいます。
こうして変化を行う力士が少なくなっていく、ということは変化を対策する意義も薄れ、
本来であれば立ち合いの際に変化を警戒すべき意識を他の部分に向けている力士も少なくはないでしょう。
だからこそ「変化」の成功率もそこそこに維持されている、という見方もありますが…
「変化」で相撲はより面白くなる?
個人的には「変化」はやってもよいのでは、という考えです。
互いが万策を講じ全力をもって相手と対峙してこそ大相撲、
そして変化も立派な戦術の一つですから、
「変化が最も有効なタイミングがあるにも関わらず変化をしない」というのはある意味では対戦相手に全力を尽くしていない、という捉え方も出来ます。
立ち合い時に互いが「変化」と「変化への対応」を頭に入れることで、
「相手は変化するかもしれないからここは様子を見るか」
「最近俺は変化をしたから相手は警戒して立ち合い時に強くぶつかってこないかもしれないし、ここは思い切って突っ込もう」など、
駆け引きの要素が深まり、
より戦略性が増すのではとすら思っています。
もちろん力士の全力の組み合いを否定するわけではありません、
ただ相手の動きを観察し、華麗に変化で勝負を決めるのも「全力」ではないのかな、というのが私個人の意見です。
最後に
さて、「変化」を良しとしない気持ちもわからなくはありません。
互いが力の限りを尽くし組み合う姿は見ていて非常に気持ちよく、熱い気持ちにさせてくれます。
…とはいえ変化をした力士に必要以上の非難を浴びせる人が居るというのは少し疑問。
「品格」は重要かもしれませんが変化を行なった力士はルールに則って自分の力を発揮したに過ぎません。
ルール違反を働いたわけでも無いのに観客側の「自分が気に入らない戦法を取ったから」という想いを理由に、
戦術はおろか力士本人の人格攻撃とも取れる攻撃的な発言を飛ばす方もおられたので、
個人的な考えを述べさせていただきました。
というわけで今回はこのあたりで記事を締めます。
また次回お会いしましょう、さようなら。
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