【1896〜2020年まで】オリンピックの歴代メダルデザインと共に各大会を振り返る【東京五輪】

地理

オリンピックの歴代メダルデザイン

今回は東京五輪2020に至る全ての大会のメダルを振り返っていきます。

それでは。

1896年:アテネ(ギリシャ共和国)

男性のみ

大会参加者は男子のみ。女性が参加できるのは第2回からです。

一位に「銀メダル」

財政事情により、優勝者には銀メダル、第2位の選手には銅メダル、第3位の選手には賞状がそれぞれ贈られました。

自由

当時は国家単位ではなく個人名義による自由出場だったため、国混合チームが出場していました。

オリンピック黎明期ということもありチームの区分も現在より自由だったのです。

1900年:パリ(フランス共和国)

史上最年少

ボート競技舵手付きペア種目ではオランダチームの選手の体重が重すぎたため参加できず、その代役として観客席にいた7歳から10歳くらいと見られる少年が飛び入りで参加し、そのチーム優勝しました。

競技終了後に少年は会場から姿を消したため素性は不明ですが、2019年現在でも史上最年少のオリンピック金メダリストの可能性があります。

珍しい競技も

凧揚げや魚釣りといった、現在ではオリンピックのイメージの無い競技も行われていました。

鳩への射撃

射撃では鳩を的にして鳩を撃つ競技が行われました。

残虐的だと非難を受けたため、この競技が実施されたのはこの大会のみとなっています。

1904年:セントルイス(アメリカ)

アメリカの独壇場

セントルイスへの交通難や同年の日露戦争による影響などを受けて、ヨーロッパの参加国が大幅にその数を減らしました。

その結果91種目中42種目がアメリカのアスリートのみで行われ、

金メダルの総数96個のうち78個をアメリカが獲得することになりました。

自動車マラソン

マラソンではアメリカのフレッドローツ選手が高温と疲労のため20キロ時点で倒れこんでしまいましたが、

たまたま通りかかった自動車に乗せてもらい競技場へと戻ることに。

しかしその途中で車がエンストで止まった結果、再びそこから走り出してゴールを決めるという不正を働きました。

ただしその直後に車の運転者の告発を受けて優勝は取り消されています。


1908年:ロンドン(英国)

自然災害

元々はローマ(イタリア)で開催される予定でしたが、1906年にイタリアのヴェスヴィオ山が噴火した被害がローマにも出た結果、ロンドンでの開催となりました。

自然災害により開催地が変更されたのは近代オリンピックの中でも初です。

「42.195km」が決まったワケ

マラソンは英国国王の住むウィンザー城から、シェファードブッシュ競技場にかけての40kmで行われました。

この際、王妃アレクサンドラの「スタート地点は宮殿の庭で、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」という注文を忠実に守った結果、その距離が42.195kmという数字になったという逸話が残されています。

国旗を掲げて

すっかり今ではおなじみの光景ですが、国旗を先頭にした入場行進が行なわれるようになったのもこの大会からです。

1912年:ストックホルム(スウェーデン)

立候補はストックホルムのみ

1912オリンピックの開催地を決定する際、立候補をしたのはストックホルムのみでした。

日本が出場

この大会で初めてオリンピックに出場した日本。

これはアジアでは初のことです。

初の死亡事故

マラソンではポルトガルのフランシスコ・ラザロ選手が倒れ翌日に死亡。

オリンピック競技では初の死亡事故となりました。

1920年:アントワープ(スウェーデン)

初の選手宣誓

こちらもお馴染みの光景ですが選手宣誓が行われたのは1920年からです。

オリンピック旗の掲揚

さらにこれも初、オリンピック旗が掲揚されたのもアントワープ五輪が初となっています。

日本人初のメダル獲得

男子テニスの熊谷選手がシングルス及び柏尾選手と組んだダブルスにて、日本人選手初のメダルとなる銀メダルを獲得しています。



1924年:パリ(フランス共和国)

 

1928年:アムステルダム(オランダ王国)

 

女性の陸上競技参加

反対意見があり長らく見送られてきた女性の陸上競技への参加が認められました。
日本からは人見選手が出場し、800mで銀メダルを獲得しています。

想定外の金メダル

日本は織田選手と鶴田選手が初の金メダルを獲得しましたが、
織田の優勝を大会関係者が想定しておらず、表彰時には旗の大きさは他国よりも大きなものになり、君が代の吹奏も途中から行われました。

聖火

大会で初めて聖火が使用されたのがこの大会。
大会中継続して燃やされました

1932年:ロサンゼルス(アメリカ合衆国)

 

選手村の建設

この大会時に初めて選手村が設けられました。
ただし利用できたのは男子選手のみでした。

参加賞がメダル

ホッケー競技に参加した国がアメリカ、インド、日本の3カ国にとどまったため、リーグ戦を行いその順位に応じてメダルが決定しました。

初の写真判定

陸上競技で初めて写真判定装置が用いられました。

1936年:ベルリン(ドイツ連邦共和国)

ヒトラーと五輪

当時隆盛を誇っていたアドルフ・ヒトラー総統は当初オリンピックを「ユダヤ人の祭典」としてベルリンでの開催に難色を示していました。

しかし側近から「オリンピックをベルリンで行うことでプロパガンダが期待できる」との説得を受けて開催に同意しています。

この時ユダヤ人が多いイギリス、アメリカ等がボイコットを行う動きを見せていました。

これに対しドイツ政府はユダヤ人への迫害政策を大会期間の前後に限り緩めること、有色人種への差別発言を抑えることを約束、国の政策を一時的に中断してでもオリンピックを成功に導こうとしました。

初の聖火リレー

聖火リレーが初めて行われたのがこの大会。

今ではおなじみの光景ですが、元々はヒトラーが採用したものなのでした。

1948年:ロンドン(英国)

ドイツ、日本は参加を認められず

第二次世界大戦の敗戦国であるドイツや日本は参加を認められませんでした。

日本は1938年に東京五輪の開催を返上し、ドイツは1939年に第二次世界大戦を引き起こしヘルシンキでの五輪開催を不可能にしたことから懲罰としての意味合いも強いと考えられています。

なお第二次世界大戦中に政権交代を行ったイタリアの参加は認められています。

1952年:ヘルシンキ(フィンランド共和国)

日本が再び参加

日本は第二次世界大戦後初となる、16年ぶりの五輪参加を果たしています。

また、ソ連が初めて参加したのもこの大会です。



1956年:メルボルン(オーストラリア)

 

冬に開催された夏期五輪

夏季五輪としては初めてとなる南半球、メルボルンを舞台としています。

しかしメルボルンの緯度が高いこともあり、結果的に南半球が冬に入ってからの開催となりました。

ボイコット多発

スエズ騒乱への抗議としてエジプト、レバノン、イラクが不参加、

またソ連のハンガリー侵攻への抗議としてスペイン、オランダ、スイスが不参加、

さらに中華民国の参加に抗議し、中国がボイコットしました。

1960年:ローマ(イタリア共和国)

ドーピング対策の本格化へ

自転車のロードレースではデンマークの選手たちがトレーナーから興奮剤を投与され出場した結果、レース後に1名が死亡、残り2名が入院するという事件が起こりました。

これを受け国際オリンピック委員会はドーピング対策を本格的に検討するようになりました。

1964年:東京(日本)

アジア初の五輪開催

日本およびアジアでは初めて開催された五輪であり、また有色人種国家における史上初の五輪という意義も持っていました。

1968年:メキシコシティ(メキシコ合衆国)

大規模の学生デモ

開会直前に開催地であるメキシコシティにて大規模な学生デモが実施、

軍や治安警察を動員し死傷者を出しながらも鎮圧し

オリンピックは予定通り開催されました。

1972年:ミュンヘン(ドイツ連邦共和国)

 

ドイツでの開催

第二次世界大戦後としては初となるドイツでの五輪開催です。

ミュンヘンオリンピック事件

大会中にパレスチナのゲリラが選手村のイスラエル宿舎を襲撃、イスラエルの選手およびその関係者11人とゲリラ5人、警官1人が死亡する大惨事となりました。

1976年:モントリオール(カナダ)

無念、カナダ

開催国であるカナダは金メダルが0に終わりました。

開催国が金メダルを獲得できなかったのは今大会が初となります。

1980年:モスクワ(ソビエト連邦)

集団ボイコット

冷戦下のソ連で行われたこの大会は、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け日本、西ドイツ、大韓民国、サウジアラビア、トルコ、エジプトなど50カ国近くもの多くの国が集団ボイコットを行うという事態に至っています。



1984年:ロサンゼルス(アメリカ合衆国)

ボイコットへの報復

前回大会時に西側諸国が主にボイコットを行ったことに対する報復として、本大会では東側諸国がボイコットを行いました。

1988年:ソウル(大韓民国)

新興国初の五輪

第二次世界大戦後の新興国で初めて開催された五輪であり、東京五輪に続いてアジアで二度目に行われた夏季五輪でもあります。

またソ連やほとんどの東側諸国にとっては最後の参加となったのがこの大会です。

1992年:バルセロナ(スペイン)

出典:https://www.flickr.com/photos/nostri-imago/2914154292

プロ選手の出場が全面解禁

このバルセロナ五輪よりプロ選手の出場に制限が全面的になくなり、競技のレベルが劇的に上がりました。

1996年:アトランタ(アメリカ合衆国)

近代五輪100周年

近代オリンピック百周年にあたるこの大会は第一回の開催地であるアテネが有力視されていましたが、決選投票でアトランタに決定しました。

2000年:シドニー(オーストラリア連邦)

虹色のマント

約半世紀ぶりに南半球で開催された五輪。

日本選手団は入場時虹色の鮮やかなマントを着用していましたが、

欧米ではしばしば「虹色=LGBTの象徴」として見られるため、

日本人選手は全員LGBTなのか、と現地の人が驚いたという話が残されています。

2004年:アテネ(ギリシャ共和国)

108年ぶり

夏季五輪としては21世紀に入って初となる大会であり、アテネで開催するのは1896年の第一回開催から108年ぶり2回目となりました。



2008年:北京(中華人民共和国)

中国で初の開催

アジアで開催されるのは3度目となる五輪ですが、中国で開催されるのは初。

また社会主義国で開催されるのは1980年のモスクワ以来となります。

2012年:ロンドン(英国)

出典:https://www.flickr.com/photos/ofsmallthings/7834790174/

全ての女性が参加できるように

これまでイスラム教の戒律に基づき男性しか出場させていなかったサウジアラビア、カタール、ブルネイが女性選手を派遣したことでオリンピック史上初めて、全ての国と地域から女性選手が参加できる大会となりました。

2016年:リオデジャネイロ(ブラジル連邦共和国)

南アメリカ大陸で初の五輪

ブラジル国内および南アメリカ大陸で初めて開催された五輪。

また開催地の気候が冬の時期に初めて行われた夏季五輪となります。

基準の緩和

トランスジェンダーの選手に関して、性適合手術を受けていなくても出場できるよう基準が緩和されました。

2020年:東京(日本)

東京での開催は56年ぶり2回目、またアジアでは初の同一都市による複数回開催となりました。

というわけで今回はこの辺りで記事を締めます。

また次回お会いしましょう、さようなら。

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