三大欲求を俺が変える
食欲
睡眠欲
性欲
当たり前のように「三大欲求」と呼ばれているこれらだが、
本当に三大欲求たり得る存在なのだろうか?
今回はそれを考えていこうと思う。
もし三大欲求にふさわしくない場合は、俺の知り合いの欲求を代わりに連れてくる。具体的には、呼吸欲や排泄欲だ。
それらと比較しながら、三大欲求が三大欲求足り得るかを、一つずつ見ていこう。
三大欲求 vs 呼吸欲、排泄欲
欲で欲を洗う戦いの始まりである
食欲
人は食べなければ死んでしまう。
逆に言えば、死にたくないから、お腹が空くから、食べてるわけで。
食事をしないと死ぬから、食事をする。
呼吸をしないと死ぬから、呼吸をする。
どちらも同じように見えるが、呼吸の方は呼吸欲とは言わない。
![雨崎](https://i0.wp.com/nightview7.com/wp-content/uploads/2024/05/IMG_4683.jpeg?resize=669%2C669&ssl=1)
となると、
食欲だけこのまま欲としてカウントしてしまって良いのだろうか?
寿司や焼肉など「美味しいものを食べたい」というグルメ的な側面も食欲にはある。
故に、欲であることに間違いはない。
だが、それを言い出すと呼吸の方も「美味しい空気を吸いたい」という側面もある。
「食欲」を三大欲求としてカウントするなら、
「呼吸欲」や「排泄欲」も三大欲求に肩を並べるほどの扱いにしないと、筋が通らないのではないか。
睡眠欲
これも食欲同様。
寝ないと疲れが取れず、死んでしまうから寝るわけで。
「寝るのが好き」という人はもちろんいるだろうが、
多くの人は「寝ないと頭が回らないから」「体力がもたないから」「健康に良くないから」などの理由で、睡眠をしている。
「寝たい」「眠たい」とは思うが、寝るのが好きというよりは、
「寝ないとしんどい」「寝ないと死ぬ」から寝るわけで。
生存のために、必須・義務であるから眠っている。
まあ色々言ってきたが、最終的には「寝たい」に着地しているのだから、欲求ではあることは否定しない。
だが、それならやはり呼吸欲や排泄欲も三大欲求にカウントされるのが妥当である。
性欲
お前はちゃんと「欲」だ
胸を張れ
欲求とは何か
欲求とは「欲しがり求める事」。
確かに我々は、食も睡眠も性も、大いに欲しがり求めている。
色々言ってはきたが、これらが欲求扱いをされることにやはり異論はない。
問題は、そこに呼吸欲や排泄欲が並べない理由だ。
チャットGPTに聞くとこのような返事が。
![ユーザー](https://i0.wp.com/nightview7.com/wp-content/uploads/2024/05/723D44A6-7DCC-408E-AB80-8A1627DCAC12.jpg?resize=1080%2C1080&ssl=1)
①行動への直接的な影響
②意識的な選択の要素
③生存と繁殖への直接的な関連性
呼吸と排泄には、これらの要素が少ない…とのことだ。
確かに、呼吸は①と②が欠けているし、
排泄は③の繁殖への関連性が直接的ではない。
呼吸のために日常で行動を変えることはないし、呼吸を意識する場面も少ない。
生物の根源的な要素である「生存」「繁殖」に排泄が関わっているわけでもない。
呼吸と排泄は、生存に直結しているほど大事な欲求ではあるけれど、
三大欲求はそこにプラスアルファの上乗せがあるよ、ということなのだろう。
「排泄が出来なければ健全な体を保てず、繁殖できないじゃないか」
「空腹の時に食べ物を探すように、息苦しい時に呼吸しやすい姿勢をとったり、病院へ行ったりするじゃないか」
「だから、排泄や呼吸も、①〜③を満たしている」
という食い下がり方は出来なくもない。
ただ、もっとシンプルに考えてみる。
もし、食べなくても寝なくても、何をしても死なない身体になった時、
「息したい!」「トイレしたい!」と思う事はそうそうないだろう。
呼吸もトイレも別に楽しくないから。
今だって、必要だからしているだけで。
必要ないならしない。
たまに気が向いた時にやるくらいだろう。
一方で、例え不老不死になっても、
美味しいものを食べたくなるし、
気持ちよく横になったりしたくなるし、
好きな人が出来たりするのだろう。
食欲も睡眠欲も性欲も、
生きる上で必要な上、
必要でなくても「したいこと」に上がってくる。
まさしく三大欲求だ。
結論
三大欲求は三大欲求だった
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