【疑わしきは被告人の利益に】無罪判決!「推定無罪」とは?【冤罪の恐れ】

法律

 

みなさんこんにちはこんばんは雨崎です。

今回は「推定無罪」について。

聞いたことがある方もおられるかもしれませんが、

「告発」などの一方的な主張により証拠が確認されていない状態で加害者が攻撃される昨今、

いま一度その意味を知っておきましょう。

推定無罪

推定無罪とは

推定無罪とは「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の基本原則です。

要は「有罪でなければ無罪」なわけです。わかりやすいですね。

これは検察官が被告人の有罪を証明しない限りは、被告人に無罪判決が下されることになるというもの。

つまり有罪判決が下されるまではそもそも犯罪者として取り扱われない、ということです。

「疑わしきは被告人の利益に」、

刑事裁判においても一つ一つの事実を見たときに、

それらの事実の有無が確信できない場合には、被告人にとって有利な方向で決定しなければなりません。

なぜ推定無罪が必要?

ここで「なぜ被告人の利益となるようにしなければならないのか?」という方がおられるかもしれません。

では推定無罪という原則が無い状態で、無実の自分が何らかの容疑をかけられた場合を想定してみましょう。

まず我々のような一市民が自らの無罪を証明というのは非常に難しいものです。

当然です、我々には捜索や差し押さえの権限もなければ豊富な人員も持ち合わせていません。

多くの場合は自分を有利な立場に置くための証拠を集めることすら満足に出来ないでしょう。

その上自分がやっていないことを証明する、というのは困難を極めます。

なにせやっていない事ですからね、

仮に「おい!本当は人を殺したんじゃねえか?人を殺してないならそれを証明してみせろ!」と言われても証明しようがありません。

一方で警察や検察はその人員と与えられた強制力をもって証拠を集めることができます。

決定的な証拠こそ挙げることが出来ずとも被告人を不利に追い込むことなど造作もない、

ここにとても大きな力の差があるということはご理解いただけるかと思います。



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そしてこの状態で我々が「自分の無実を証明するための証拠」を挙げることができなければそれだけでハイ有罪、というのは

無実の身である我々からすればあまりにも納得がいかないものですよね。

推定無罪の考え方とはこうした多くの無実の市民を冤罪から守るためのものであり、

推定無罪の原則が存在しない場合、冤罪被害の多さは現在の比ではないでしょう。

冤罪

近年では「逮捕=犯罪者」のように扱われたり、また逮捕された人物に中傷的な意見を飛ばす方などが多く見られますが、

逮捕とはあくまで身体拘束の一種であり、「逮捕したからこいつは有罪確定!犯人確定!」というものでもありません。

多くの方は、例えば特定の人物を誤認逮捕してしまったニュースやドキュメンタリーなどを一度は見てきているはずなのですが、

それでも今もなお「逮捕=犯罪者」という意識を持たれている方が多いのが現状です。

推定無罪が無くなると

そしてここからが肝心なのですが、仮に「推定無罪」という考え方そのものをやめた場合、

それはおそらく秩序や治安の崩壊ということになります。

どういうことか。

物証や状況証拠が十分でなくても、「怪しさ」という漠然とした根拠で有罪にされる可能性が出てくるわけです。

これはもう疑われる側からするとたまったもんじゃありません。

さらに言えば、民間人同士のいさかいも非常に困ったことになります。

例えば私がこの記事を読んでいるあなたに対し「そういえば昔、○○っていう場所であなたに暴行されたんだけど?」と言ったとします。

普通なら証拠がない以上、また一方の意見(私の意見)だけで事実を判断できません。

しかし推定無罪の考え方が無いとどうなるでしょう。

「証拠がなくても、犯人っぽければそれは真実」ということになります。

告発された時点で真偽に関係なく罪人扱いされる世の中が出来上がりかねない、

悪い言い方をすると「告発したもん勝ち」の世の中になりかねない、というわけです。

これは決して飛躍した考え方とは思いません。

現に推定無罪を知らない一部ネット民により、

「片方の告発のみをもとに、相手の反論や証拠が確認できていない状況で袋叩きにする」という行為が芸能人や有名人相手に行われているのですから。

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