【自己責任】自由な生き方・考え方ついて【時間は有限】

雑記

みなさんこんにちはこんばんは雨崎です。

生き方や考え方について、色々と考える機会があったので記事として投稿しておきます。

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同じ考え方の人もおられると思うので。

時間は有限だからこそ自由に

例えば私は人生の中で最も価値があるものは時間だと考えています。

なぜかと言うと人間の寿命はたった80〜90年しかありません。

私は現在20代前半ですが、男性の平均寿命は80歳のため私に残された時間は60年あるかどうか、ということになります。

仮に私が某デーモン小暮閣下と同じカテゴリの生き物であれば残り1万年は生きることができるのですが、

残念ながら私は人間、60年も経てば問答無用で人生が終わってしまいます。

どんなに楽しくても辛くても、時間が無くなればもはや楽しむことも辛がることも出来なくなってしまうわけです。

「まだ60年も残されているじゃないか」という方もおられるかもしれませんが、

60年なんてすぐに過ぎてしまうでしょう。

なにせこれまでの20年間は過ぎてしまえばあっという間でしたし、

時間の感じ方がどんどん早くなっていくことは明らか。

例えば5歳にとっての1年は人生の5分の1であり長く感じますが、

20歳にとっての1年は人生の20分の1ですから「もう1年終わりかー」と感じるのも無理はありません。

この先も時間はすぐに過ぎてしまうばかり、

私が「ハズキルーペのCMを文字に起こす」という謎記事を書いている間にも刻一刻と時間は消えていきます。

すごいぜ!ハズキルーペ!

そう考えると残すはたった60年しかない、

限られた時間を少しでも「自分にとって納得のいく過ごし方をしたい」と考えてしまうわけです。

そして私にとっての納得のいく過ごし方とは、

「自由」です。

自由

例えば私は医療系の国家資格を所有しているのですが、その国家試験に臨む際に先生が

「勉強してる学生は1日12時間も机に向かって、試験当日までの数ヶ月間勉強している」と生徒達を鼓舞していました。

もちろん先生が言いたいことは伝わります。

…が、私は「1ヶ月間しか勉強してたまるか」と1ヶ月しか勉強せず、残りは遊んで過ごしました。

結果、私は誰よりも努力せずに試験に臨み国家資格を取得しました。

これは私が1日12時間も机に向かっていられないから、という理由ではありません。

いや、実際机に向かっていられませんが

例えば努力をするのは素晴らしい、努力をしないのはダメ人間だ、という人がいます。

私からすれば努力をしない人間がダメだとは思いません。

自分が責任をもって「努力をしない」という選択をしていることに非難の目を向ける理由はありませんから。

そもそも「努力をすることが素晴らしい」と感じるのは個人の感性によるものであり、それを他者に押し付ける理由にもならないわけです。

私が意識する「なんでもあり」な生き方とはつまりそういうことで、

世間一般では「よろしく無いこと」とされているような考え方でも、

「別に本人が納得して選択してるなら良いのでは」という思考です。

「努力しなきゃだめ」

「そんな軽い気持ちで国家試験に臨んじゃだめ」

「しっかりとした考え方を持たなくてはだめ」

などなど色々な事を言われてきましたが、

例えば先ほどの国家試験に当てはめれば

別に私は大して勉強をしなくても

軽い気持ちで試験会場に行っても

たくさん遊んだ後に試験を受けても

無事に試験に合格出来ていますし、

仮に落ちても自分がそれを選択した結果なので不満もありません。

つまり私にとっては過程にある「努力」も「強い意志」もどうでも良いことなのですが、

それを気に入らない周囲の人も少なからずいました。

ただ私の信念は散々書いている通り「自由に生きる」ことであり、

「他人にとって 見ていて気持ちのいい生き方をする」ことではないため

全く変わらずに努力もせず強い意志を持つこともしませんでしたけどね。

とはいえ「努力をすること」を批判しているわけではありません。

先ほど挙げたような「努力をすることが正しい」「性格が良い人間は素晴らしい」などの枠に縛られるのが嫌だっただけです。

努力をあまりしない人間(や性格が悪い人間)と、

努力をする人間(や性格が良い人間)との間に

差は全く無いというのが私の考え方。

人がどう生きようが人の勝手ですから。

自己責任

さて散々「自由な生き方」について書いていますが、

では何をしても良いのかと言われると…

何をしてもいいんです。

散々言ってきたように他の人からの評価や印象なんて私の人生にほぼ関わることはありませんし興味もありません。

とはいえ、当然行動には責任が伴います。
例えば国家試験に合格した件ですが、仮にこれで落ちてしまっていたらどうでしょう。

散々遊んだ挙句国家試験に落ちたのですからその原因は明白であり、その責任はその決定を下した自分にあります。

スラムダンクに出てくる陵南の田岡監督も「私の責任!選手達は最高のプレーをした!」とか言ってたでしょう。

つまり私は田岡監督そのものなわけですよ(錯乱)

話を戻して、例えば他の人に迷惑がかかる行動をした場合も同じく当然自分の責任です。

つまり行動した結果どんなに良い結果を招いてもどんなに悪い結果を招いてもすべて「自分の責任」なわけですね。

そしてそれを理解した上で、リスクを考え行動するのかしないのかを後悔しないように決定する必要があるわけです。

他の人間に迷惑がかかりそうならこの行動は控えておこう、など。

このことを徹底していれば後悔することもなくなります。

その時その時、自分なりのベストを考えて選択するわけですから。

自己責任からの逃避

一方で、自分がその環境を選んだり関わる人間を決めたりと自分自身がひとつひとつの行動を選択してきたのに、

「他の人間や環境のせい」にしている人が少なからずいます。

中学生あたりまでは私も自己責任であることから逃げ、

すぐに親のせいにしたりしていました。

「まだ自分が5歳で、幼い間に親の決定に巻き込まれた」等の個人ではどうしようもない問題ならともかく、

「あの時親がこうしたから〜今の自分になってしまった」

「環境さえ良ければ私はもっと違う自分になれていた〜」など。

全ては「一つ一つの行動選択の積み重ね」、ひいては「自分のせい」の筈なのですが。

嫌ならすぐに環境や付き合う人間を変えれば良いだけの話で、

それが出来ないのは単に自分の能力不足に過ぎません。

能力や判断しだいでは環境もいくらでも変えることができますしね。

そしてその能力を培うことができなかった自分の努力不足でもあるわけで。

要するに「全ての選択と結果は自己責任だから後悔しないようにすべき」ということですね。

さて長くなってきたので今回はこの辺りで記事を締めます。

また次回お会いしましょう、さようなら。

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