【キープカマヨ】古代アンデス文明についてpart3【パチャクティ】

世界史

   ワマニはインカ族の監督の下に、地方の首長が治めていました。
   インカ族は征服の際に太陽神信仰、ケチュア語の使用を命じ、土地と家畜の再分配を促しました。
    「お前今日からケチュア語話せ」っていうのも中々の無茶振りですけどね。
   また、帝国の交通と通信のため、インカは総延長4万キロメートルに及ぶ道路網を整備しました。
   要所には宿駅が設けられ、
   道沿いの小屋にはチャスキとよばれる継ぎ飛脚(貨物を郵送する役割)
   が駐留していました。
   

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   ですが不思議なことに、インカ帝国には文字がありませんでした。
  同じアメリカ大陸のアステカ文明やマヤ文明では文字が生まれているにもかかわらず、伝わっていなかったようです。
  では先ほど登場しました、宿駅に駐留していた飛脚は何を運んでいたのでしょうか。
  実はインカ帝国にはキープという、縄を結んだ記録方式がありました。
紐の結び目が1〜9の数を示し、紐の色や組み方によって何を伝えたいかがわかるという、今では暗号のようにも思える伝達手段です。
インカにはキープカマヨというキープの専門家が多数養成されており、
これによって広大な帝国の人口や農作物の生産量を正確に把握していたのです。
  下手に文字を書くよりも難しそうな事をしています。さすがアンデス先輩。

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石積み技術について

前回はアンデス文明が石積みの記述が優れている、という内容で記事を締めたと思います。
今回はその続き。
インカの石組み技術はティアワナコ(巨石を組み上げた石造建築が特徴の文化)の影響を受けています。
第9代の皇帝であるパチャクティ(マチュピチュを作った人)がティアワナコを征服したときその石造建築に驚愕し、
この地方の石工をクスコで働かせたという記録が残されているほど。
スカウトしたわけですね。You ウチで働いちゃいなよ。
パチャクティはインカ帝国の祖と呼べる人物であり、クスコの街を作った人物でもあります。
   もともと小さな部族国家に過ぎなかったインカを大きく飛躍させたのはパチャクティの始めた征服事業に他なりません。
また、クスコは地震が多い地域
クスコには多角形の石を用いた台形の建造物が作られていましたが、
地震に強い建造物を建てるためそうした形状になったと考えられます。
またインカでは車輪を用いた運搬技術が発明されておらず、全ての石は斜面を滑らせて運ばれていたようです。
それでは今回はこの辺りで。また次回お会いしましょう、さようなら。
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