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【キープカマヨ】古代アンデス文明についてpart3【パチャクティ】

世界史
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前置き

 

みなさんこんにちはこんばんは雨崎です。

古代アンデス文明についての記事も3つめですか。
中々の長編になってきました。
今回は世界史をめぐる第七回。
世界史興味ない人もぜひどうぞ。

 

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文字がなかった古代アンデス

  前回記事では脳外科手術までこなしてしまうほどの技術力を誇った古代アンデス文明ですが、文字は発明されませんでした
   「あれだけ色々な技術が発展しているのなら、もう少し頑張れば文字もイケたやろ」と突っ込みたくなるのですが、
   アンデス先輩は国語は苦手だったようです。
   ではどうやって離れた場所にいる人と連絡を取り合っていたのでしょうか?
   まずはインカ帝国の行ってきたことから。
    古代アンデス文明終期に栄えたインカ帝国は正式にはタワンティン・スウユ(四州の国という意味)と呼ばれます。
   首都クスコを中心に、四の地方に分けられていたのです。
   その地方はさらに、ワマニ(インカ帝国による征服以前の部族)と地方国家に対応する地域に分けられました。 
   ワマニはインカ族の監督の下に、地方の首長が治めていました。
   インカ族は征服の際に太陽神信仰、ケチュア語の使用を命じ、土地と家畜の再分配を促しました。
    「お前今日からケチュア語話せ」っていうのも中々の無茶振りですけどね。
   また、帝国の交通と通信のため、インカは総延長4万キロメートルに及ぶ道路網を整備しました。
   要所には宿駅が設けられ、
   道沿いの小屋にはチャスキとよばれる継ぎ飛脚(貨物を郵送する役割)
   が駐留していました。
   

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   ですが不思議なことに、インカ帝国には文字がありませんでした。
  同じアメリカ大陸のアステカ文明やマヤ文明では文字が生まれているにもかかわらず、伝わっていなかったようです。
  では先ほど登場しました、宿駅に駐留していた飛脚は何を運んでいたのでしょうか。
  実はインカ帝国にはキープという、縄を結んだ記録方式がありました。
紐の結び目が1〜9の数を示し、紐の色や組み方によって何を伝えたいかがわかるという、今では暗号のようにも思える伝達手段です。
インカにはキープカマヨというキープの専門家が多数養成されており、
これによって広大な帝国の人口や農作物の生産量を正確に把握していたのです。
  下手に文字を書くよりも難しそうな事をしています。さすがアンデス先輩。

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石積み技術について

前回はアンデス文明が石積みの記述が優れている、という内容で記事を締めたと思います。
今回はその続き。
インカの石組み技術はティアワナコ(巨石を組み上げた石造建築が特徴の文化)の影響を受けています。
第9代の皇帝であるパチャクティ(マチュピチュを作った人)がティアワナコを征服したときその石造建築に驚愕し、
この地方の石工をクスコで働かせたという記録が残されているほど。
スカウトしたわけですね。You ウチで働いちゃいなよ。
パチャクティはインカ帝国の祖と呼べる人物であり、クスコの街を作った人物でもあります。
   もともと小さな部族国家に過ぎなかったインカを大きく飛躍させたのはパチャクティの始めた征服事業に他なりません。
また、クスコは地震が多い地域
クスコには多角形の石を用いた台形の建造物が作られていましたが、
地震に強い建造物を建てるためそうした形状になったと考えられます。
またインカでは車輪を用いた運搬技術が発明されておらず、全ての石は斜面を滑らせて運ばれていたようです。
それでは今回はこの辺りで。また次回お会いしましょう、さようなら。
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