【考察】しりとりはなぜ会話の墓場と言われるのか→考えた結果
もう一つの可能性
「気まずくなったからしりとりをする」というケースが少ないとなると、これでは会話の墓場とはいえません。
「しりとりは会話の墓場」ではなく、
私をはじめ多くの人の場合は「会話の墓場は沈黙」なのですから。
しかし違う理由で「しりとりは会話の墓場」と呼ばれている可能性もあります。
つまり
「会話に関係なく、そもそもしりとり自体をすると墓場のような空気になる」
という可能性。
しりとりには可哀想ですが。
しりとりのゲーム性
みなさんも経験があるとおもいますが、
しりとり自体そうそう決着がつくものではないですよね。
子供ならともかく、成長するにつれ膨大な数の言葉を学んだ大人同士がしりとりをしても数分から数十分程度では全く勝負がつきません。
しりとりにおける戦略というのも、せいぜい単語数が少ない「ぷ」や「る」から始まる言葉を重点的に相手に回す、という程度。
これらも単語数は他と比べると少ないとはいえやはりそれなりに数はありますしね。
そもそも会話が完全に途切れている気まずい状況にも関わらず、
しりとりに参加してくれている相手に対して、「る」から始まる言葉ばかりを徹底的に回してボコボコにする、
というのは確かにその場の空気は墓場そのものかもしれません。
かといって相手に気を遣ってそういった「攻め」をしなければしりとり自体のゲーム性が大きく損なわれます。
終わりの見えないゴールに向かってぐだぐだと進行していくだけの時間になってしまいます。
こうなると
「実際はなにか盛り上がる会話になっているわけじゃないけど、しりとりすることによって一応お互い口を開いてるから、コミュニケーションは取れてるな、うん」
と自分を騙しながらしりとりを進めていくしかなくなるわけです。
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